当事者会に初参加した

目次

序文

僕は発達障害と診断されてから、書籍やインターネットで発達障害一般や自分の適応障害について調べていた。他の発達障害者の様子をTwitterで観測していると、似た特徴を持つ当事者同士で界隈を形成している。同じ診断名でも多様性があり、界隈が乱立しているので、当事者の人物像を一概に把握できなかった。多様な当事者の人物像を把握するために、接触して観察しようと考えた。しかし魅力がない僕はTwitterにいる当事者と交流できない。サークラ前会長に発達障害当事者会への参加を提案された。だから僕は人脈構築済みで出入り自由の当事者会へ行った。

僕が開始定刻間際に会場に着くと、まだ司会者一人しか来場していなかった。平日の夜だったので仕事帰りで遅れてきた当事者が徐々に駆けつけ、最終的には計五人が集まった。冒頭で一人ずつ自己紹介した。参加者全員が男性1で、僕以外の参加者は職に就いていた。僕は自己紹介で、Twitter発達障害者には多様性がありすぎて人物像を一概に把握できなかったので、現実で把握しにきたと伝えた。まず司会者により発達障害者の多様性について講義が始まった。

発達障害者の多様性

司会者による講義

精神発達障害群の中には知的発達障害発達障害があるけど、知的障害を除く発達障害のみを説明する。発達障害の大分類はASDADHD・LDの三種類だ。これらが併存する当事者が多いことを示すために、集合を表す円が重なるベン図を書く。このときASDADHD・LDを表す三個の円は同じ大きさで書かれることが通例だ。しかし併存する実際の人数を円の大きさに反映すると、以下のような画像1のベン図になる。つまりLDがある当事者は少ない。ASDADHDが併存する当事者は、併存しない当事者よりも圧倒的に人数が多い。現に、講義中までに来場していた四人ともASDADHDの併存型だった。

しかしベン図で同じ位置を占める当事者でも、実態は多様性があり異なる。説明のために、ASDADHD・LDそれぞれを原因とする、適応上の問題10項目を問うチェックリスト三枚があると仮定する。チェック項目の点数だけを考えると、当事者は103=1000通りに分類されることになる。ASD9項目・ADHD4項目・LD1項目に当てはまるASD傾向の方が高い当事者もいれば、ASD3項目・ADHD8項目・LD0項目のADHD傾向の方が高い当事者もいる。点数配分が似ていれば、単にASD当事者やADHD当事者と自称して同士として交流を図るだろう。だが似た点数配分の当事者同士でも、どの項目に当てはまるかバラバラだ。ADHD傾向が高い二人の当事者のうち、一人は「書類整理と所持品の管理が苦手」なのに、もう一人は得意である可能性がある。この一項目で二人の共感は崩れるかもしれない。

僕の補足

司会者による講義は良く言語化できていた。説明のために仮定されたチェックリスト三枚は、ASDチェックリストがAQ・ADHDチェックリストがCAARS・LDチェックリストがWAIS-Ⅲ各検査に相当する。チェック項目の点数だけを考えたときの各心理検査の結果例を以下の画像2で載せる。この画像ではWAIS-Ⅲ各検査の点数が載らないため、LDの有無を示すことはできない。

司会者は講義でIQについて言及を避けたので、僕が次項でIQについて言及する。 ※ASD当事者は高IQが多い、またはASD当事者のIQは二極化するという噂は否定されている

他人と比較する指標

僕の病院歴

他の初参加である当事者が病院歴を話したので、もう一人の初参加である僕にも司会者が同じ話題を振った。 僕はIQと学歴の話題を抜きに自分の病院歴について語れない。僕は大学受験を失敗して中堅私立大学へ不本意入学し、適応障害になって不登校になり、自分で疑って精神科へ行って発達障害と診断された。僕は学歴劣等感を抱いていたので、受験失敗の原因をIQのせいにできるか確かめたくて、一軒目の精神科医心理検査結果の開示を要求したが拒否された。心理検査結果が見たくて、二軒目の精神科医に再診断でIQを開示させ、三軒目の精神科で心理検査を受け直して再々診断され、保険適用外の報告書で心理検査結果をようやく知ることができた。2

司会者と問答

僕の病院歴について説明した後、IQと学歴について司会者と問答になった。この問答では司会者の指摘通り僕の思考に欠陥があるので、僕には問答の内容を会話形式そのままでしか表現できない。脳内整理のため、会話内容を勝手に改変する。

司会者「この当事者会では発達障害=能力凸凹+適応障害と定義している。この定義では適応障害がない人を、発達障害者ではなく能力凸凹があるだけの変人と見なす。適応障害がなく無職だけど福祉の必要性を感じていない現時点の貴方を、この当事者会では能力凸凹があるだけの変人だと見なす」

僕「知能の高さ、特にIQと学歴は社会において人間の価値を決める主要な指標だと私は思う」
司会者「貴方は何故そんなにIQと学歴について拘るのか?」
僕「旧帝国大学を院卒した定型発達者の兄と比較されて母親に育てられ、卒業した高校の同期のうち私が一番低い偏差値の大学へ進学したことに劣等感を抱いたから」
僕「先天的知能は出生で決定され当人の自由意志で左右できないので、先天的知能の良し悪しに当人の責任が生じないことを私は理解している」
僕「先天的知能で自分より優る人よりも、良い教育を受けて後天的に知能が高くなることが重要だ。しかし私は大学受験勉強が不完全燃焼で知的になる主要な機会を失った」
司会者「再受験すればよかったではないか?不完全燃焼と言い訳するが、勉強できる時間は十分にあったはずだ。時間はあったのに学力が伸びなかった理由は、貴方に潜在能力(IQ?)がなかったからだろう」
僕「大学受験期間に二次症状の抑鬱であまり努力できなかったことや、世間の価値観に逆らえなかったことなどの言い訳はある。しかし、……(図星なので答えられない)」

司会者「頭の良い人とは誰か?」僕「……アインシュタイン
司会者「頭の良さとは何か?」僕「……(答えられない)社会一般の基準で言えば、IQと学歴が高いことだろう」
司会者「なぜ社会一般基準で答えるのか?貴方には自分の価値観がないのか?」僕「……(答えられない。自分の価値観がない)」
参加者1「多数派の価値観の中に埋没すると安心してしまう。他人と比較する価値観を治せればいいね」参加者2「私にもそんな価値観で自分を苦しめていた頃があった」

僕の感想

僕の価値観はメリトクラシーの競争で負けた時点に縛り付けられたままだ。適応障害になった大学生活は時間の浪費で、全く人間的な成長を遂げられなかった。だから僕には人間を価値づける指標として「メリット=IQ+努力」しか思いつかなかった。僕は分配された社会的地位に不満で、まだ多数派から承認されたがっている。

僕が自分の価値観を持てていないことが浮き彫りになった。場の空気を読めず破壊する適応上の問題を抱えた当事者は僕だけだった。この二点に気づけたことが、当事者会に来た収穫だった。僕の人生が破滅している原因は他人と比較する価値観だろうか?なぜ当事者会ですらコミュニケーションに失敗したのか?

他人と比較する価値観

僕は学歴劣等感に今でも苦しんでいる。他人と比較する価値観を治す解消法は学歴コンプレックスに悩む人のスレPart5に挙げられた解消法の二番目に当たる。他人と比較し順序づける価値観を持つからこそ、学歴劣等感という相対的剥奪に苦しむ。他人と比較しない価値観を持つために、何をすればいいのだろうか?

吉田武『処世の別解: -比較を拒み「自己新」を目指せ-』を読んだことがある。他人と比較する価値観の不合理性を説く内容だけど、頭で理解できても心で受け入れられなかった。メリトクラシーの競争に疲れた若者を学問の道へ誘うために京大の教授が書いた本なので、大学受験に失敗して学問の道が閉ざされた僕の劣等感をかえって刺激してしまう。平成を代表する選抜モデルの曲『世界に一つだけの花』と同じく、京大はメリトクラシーの競争で勝ち組である前提で本当の弱者を騙して冷却するリベラルだ。この本を読んでも、僕は他人と自分を比較して苦しんだままだった。他人と比較しない価値観を持つ方法を今でも僕は探している。

コミュニケーションの失敗

当事者同士の分断

僕がTwitterで観測している限りでは、同じ診断名でも恵まれた者と恵まれない者で立場が分断している。Twitterで活躍できる者は一般に言語性IQが高く自己表現が上手い。彼らは高IQで高学歴であり、人気と居場所があって、支援の求め方が上手い。かわいそうランキングの上位勢が、弱者代表みたいな面して承認を独占している。弱者を名乗る人は弱者なのか?一方で、僕には魅力がなくTwitterでも孤立している。僕がコミュニケーションを図れるくらい似たスペックの者はTwitterに見当たらない。

当事者同士のコミュニケーション不全

発達障害者同士の立場が分断している理由を、「共感」の観点から考えてみる。とりあえず共感を「他人の体験を自分の体験に勝手に置き換えて、当時の自分の感情を想起すること」と定義しよう。健常者たちの能力バランスや体験は平均的で似たり寄ったりだから、相手と自分の思考が異なる可能性を事前に想定しなくていいので、健常者同士は容易に共感し合える。発達障害者と健常者では能力バランスも体験も異なるので、最初から相手を異邦人として扱うことが前提となる。発達障害者は眼前の健常者の体験を、自分ではなくSSTで構築した「一般的な健常者のメンタルモデル」の体験に置き換えてエミュレートするので、自分の感情を想起しないから共感しない。

では発達障害者同士の共感について考えよう。ASD当事者同士では共感し合えるという研究結果が発表されているようだ。そう簡単に共感し合えるのだろうか。同じ診断名の相手だと、相手を自分の同類だと早合点して、つい事前に相手の思考を想定するときに、あるかもしれない差異の想定を枝狩りしすぎてしまう。しかし当事者の多様性は唯一無二で、能力凸凹バランスや不適応体験は当事者によってバラバラだ。唯一無二の発達障害者を、他の唯一無二の発達障害者である自分に強引に置き換えると失敗する。バラバラすぎて「一般的な発達障害者のメンタルモデル」を構築できないので、エミュレートすらできない。結果として能力凸凹バランスや不適応体験が奇跡的に似た極少数の当事者同士で固まり界隈を形成するけど、ほとんどの当事者には滅多に共感できないので排他的になる。極少数の似た当事者同士が固まった小さな大量の界隈が乱立し、界隈同士で揉めているのだろう。

音ゲー手法コミュニケーション

発達障害者同士のコミュニケーション不全を解決するために、僕は獲得できていない価値観だけど、他人と比較しない価値観を導入することを提案する。事前に相手の思考を想定するときに、あるかもしれない差異の想定を全く枝狩りしない。相手を誰か他の発達障害者に置き換えたりエミュレートしない。相手を、世界に一人だけの異邦人として扱う。自分とは異なる能力凸凹バランスや不適応体験を持つ前提で相手を探っていく。世界で唯一無二である相手を誤解なく把握するためには、相手の出力を文字通りに解釈し、相手の思考を細かく類推していくしかない。相手を音ゲーの筐体と見なして、会話で相手の出力を促し、出力のみから相手の思考を類推する。類推が正解する快感を求めて細かくお互いの中身を探り合う過程と多様性との遭遇を楽しむ。

相手の出したワードの中から自分の興味の持てる会話を構築するゲームとして捉えると、楽しいかもしれない。— 承認欲求、自己顕示欲と他人への無関心について

情報源として、相手そのものを使う方法である。自分の考えをとりあえず「ぶちこむ」。そして、相手が受け入れてくれるか、否定してくるかを見ることで、自分の行動を再び調整する。PDCA サイクルを回す行動の組み立て方であり、失敗を前提に行動を組み立てる方式である。— 「親密化サイクル」モデル

相手の人格を無視し類推ゲームと見なしてしまう辺り、僕が他の当事者と友達になる道のりは遠そうだ。


  1. 僕は恣意的に参加者が男性だけの当事者会を選択した。弱者男性と弱者女性とは立場が違うから、似た立場の男性と話したかった。同じ男性となら「メリットを求められる辛さ」を共有できると思ったし、メリットを求める女性に弱者男性の僕が嫌がられることを恐れた。

  2. 僕は診断以外の目的で、精神科に行ったことがない。僕が診断を受けた動機は、発達障害という診断名を貰うためではなく、知能検査を受けてIQを知るためだった。一軒目の精神科医でIQの開示を拒否された(IQが低いことを自覚させ自尊心を傷つけることを避けるため?)だけでなく、僕の考え方を全否定され、紹介書作成の依頼を無視された。僕の不信感は先入観となって、精神医学全体に広げられた。だから不登校のときに初めて診断されても、薬の処方で治療されようとしなかった(し後に三軒も受けて診断を確かめた)。二次障害を投薬で抑えて社会適応せず、人間不信により自宅療養(という体のひきこもり)を選択した。精神薬を飲むか否か選択は自由で、その選択による不利益は自己責任とされる。そのせいか不登校が治らず大学を中退したまま、ひきこもり続けている。