すばらしいメリトクラシー

序文

「学校で努力して勉強すれば高学歴を得られ1、優良企業に就職できて高収入を得られ2、魅力的な異性と家庭を築いて幸せになれる3」ことにして統治する制度をメリトクラシーと呼びます。

この制度は効率的な教育投資で人材を促成栽培する代わりに、教育投資の対象から外れた人材を見捨てます。

目次

前提

「才能(IQ・容姿)4+努力(学歴・資格・職歴)=メリット」で社会的地位を分配することにします。さらに「幼い者を一か所に集めて、同い年でメリットの獲得を競争させる」義務教育5が必要です。産業革命による効率化で職場は危ない機械か静かな机になり、幼い者が仕事の邪魔になりました。そこで幼い者を一か所に集めて隔離する場所を学校と呼び、教育投資を受ける幼い者を子供と呼びます。6学校で一元的に教育することで、努力術の逸脱を抑制します7。人間は毎年一定分だけ発達することにして、効率的に教育投資を行うために年齢によって子供を管理します。同じ暗黙の了解のもとに、静かな机の前に座って抽象概念を扱うべき子供8を選抜するための指標として IQ を考案します。そして効率的に教育投資するために対象をパレートの法則に従って、IQ の発達がバランス良くて中央値μから±2σ以内で全体の 95%を占める子供に限定します9

誰のための制度

メリトクラシーとは、IQ が+1σから+2σの定型発達者「選良」のための制度です。

選良

彼らの職業は知的専門職(インテリ)で、政治的には自由主義者(リベラル)です。彼らは競争のルールを決めた資本家階級の支配者から「選ばれた」人たち(エリート)です。彼らは自分の「地頭10」が大好き。

彼らは自由な競争の必要性と、機会平等の大切さ・結果不平等の正当性を主張します。彼ら曰く、「 IQ+ 努力=メリットを上げれば高い社会的地位につける」。

  • 「人間は実家の太さで階級を決められるべきではない」← 経済資本に恵まれた資本家階級の優位性を削ぎたい。

  • 「それに比べて人間の知能は平等に発達できる」← 知的な親からの遺伝か平均への回帰11で幸運にも IQ に恵まれた自分の優位性を隠したい。

  • 「だからすべての人間に教育を受ける機会を与えるべきだ」← 競争の舞台を整えることで自分の IQ を際立たせたい。

  • 「自分が成功した理由は努力したからだ」← 知的専門職の親や進学校から文化資本12として受け継いだ努力術を隠したい。

経済学の収穫逓増13によって、資本家が経済資本を独占し生産手段を管理して資本家階級を形成したように、知的専門職も IQ に恵まれた遺伝子を独占し文化資本を管理して中産階級14を形成しました15

普通の人

IQ が±1σ以内で定型発達者である「普通の人」は自分の IQ を知る動機と機会がありません。治療が不要な人に、忙しい精神科医16は知能検査を受けさせません。満足できる社会的地位にいる場合は、相応のメリットを持っているはずです。普通の人には「たぶん自分は IQ が+1σくらいで努力した/しなかったから今の社会的地位だし、同じくらい努力した人が同僚だ」17という健康的な認知で十分です。

特殊者

効率化のために教育投資の対象から外された人を「特殊者」18と呼ぶことにします。特殊者のうち、IQ の値が低い方が障害者です。IQ が凸凹の発達障害者と IQ が-2σ以下の知的障害者が「落ちこぼれ」ます。IQ が+2σ以上の人もアンダーアチーバーになって「浮きこぼれ」ます19。治療を必要とするまで敗北した特殊者にしか、精神科医は知能検査を受けさせないので、特殊者しか自分の IQ を知りません。負け組が確定し手遅れになり精神科に来所して、負けて当然の社会を我慢するために精神薬を処方されます。本来の自己を失わせる絶望のソーマ20を。

気づき

メリトクラシー」という単語は産業革命によって階級社会化したイギリスで、社会学マイケル・ヤング『メリトクラシーの隆盛』(1958 年21ディストピア SF 小説22)にて初出しました。そのディストピアとは、「能力測定技術の飛躍的向上により、知能が母体検査でわかるようになり、生まれる段階ですでにどの能力階級に属することになるかが決定され、それにしたがって、学校教育も能力階級とそれ以外の分離によって行われ、それが社会における地位・役割の配分にも直結する、という体制」23 です。その世界観はオルダス・ハクスリー『素晴らしい新世界』24と似ています。『素晴らしい新世界』では、中産階級の「浮きこぼれ」と「落ちこぼれ」が体制に馴染めず、野蛮人の登場によって体制の問題に気づきます。


  1. ほぼ「能力主義」のこと。マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』が出版された。上梓インタビュー試し読みを参照。

  2. 高 IQ で高学歴でも発達障害なら、コミュニケーション能力も偏重されるハイパー・メリトクラシーには適応できないだろう。学校の人間関係が上手くいかない、就活で不適正検査や面接で落とされる・職場でビジネスマナーが問題になる人もいる。しかし低学歴の私はそれ以前の問題なので、個人的な問題意識の焦点が学歴の獲得にある。

  3. ウェルベック『素粒子』を参照。恋愛市場が自由化された反発で、新反動主義のPick-Up ArtistとINCELが抵抗している。

  4. ダニエル・タメット『天才が語る』がIQ を批判し紹介する多重知能理論でも言語的知能と論理数学的知能しか高く評価されない。

  5. この記事はイギリス史で階級社会を紐解く。契機になった産業革命、初の義務教育フォスター法、「メリトクラシー」「NEET」の造語、日本の学校と職場で鳴るウエストミンスターの鐘。この全てがイギリス発だ。

  6. 『〈子供〉の誕生』。機会の平等の保障が終わった者を成人扱いし、選抜された成人の結果の不平等を死ぬまで正当化する。大学受験に失敗すると人生が終わる理由。

  7. ニューロダイヴァーシティについて、この記事を参照。

  8. この記事によると、知能の高さが必要になる理由は産業革命による近代化。

  9. この発想をパクった。教育が人を後天的に進歩させるなんて幻想で、詰め込み選抜で高 IQ を発見しシグナリングする機能しか果たしていない。ブライアン・カプラン『大学なんか行っても意味はない?――教育反対の経済学』を参照。

  10. 優生思想を持つ選良が、自分の IQ を自慢したいけど炎上したくないときに使う単語。

  11. 平均への回帰により、両親より劣等/優秀な子が一定の割合で生まれる。前者を過保護する封建制度に不満な後者が市民(ブルジョア)革命で再配置を認めさせた。

  12. 社会学ピエール・ブルデューが作った、学力は階層に中立的ではないとする概念

  13. 持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう — マタイによる福音書 25 章 14~29 節「タラントンのたとえ」。

  14. 社会学アンソニー・ギデンズによる定義。労働党アトリー(社会主義)政権+社会学マイケル・ヤング→保守党サッチャー新自由主義)政権→労働党ブレア(社会民主主義)政権+社会学アンソニー・ギデンズと推移した。

  15. 政治学者チャールズ・マレー『ベルカーブ:アメリカ生活における知能と階級構造』(1994)解説を参照。彼は子供の IQ の期待値によって平均への回帰に抗って知的専門職が中産階級化する様子も示している。

  16. 代表的な「選良」の職業で、「特殊者」の病歴を中間管理する権限を与えられている。他の「選良」の職業の例が大学教授で、「普通の人」の学歴を中間管理する権限を与えられている。

  17. ダニング=クルーガー効果と、同じメリット(= IQ+ 努力)の人が同じ社会的地位になるメリトクラシーの原理。

  18. かつて特殊学級と呼ばれた特別支援学級を念頭に、フィリップ・ K ・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に登場する「特殊者」から拝借した。

  19. ギフテッドは浮きこぼれ、互助を求め MENSA 会員になり、選民思想を強めていく。IQ によるディアスポラゲーテッド・コミュニティを形成する。

  20. ADHD治療薬であるコンサータストラテラは自己の連続性を失わせる。

  21. 労働党アトリー政権が初めて単独政権を形成し、福祉国家に改革し始めた年。ちなみに日本の放送大学の元ネタ、Open University UK はマイケル・ヤングに起草され、労働党ウィルソン政権で設立された。

  22. ハクスリー『素晴らしい新世界』(1932)→オーウェル『1984 年』(1949)→ ヤング『メリトクラシーの隆盛』(1958)→ウェルベック『素粒子』(1998)という系譜。

  23. 映画『Gattaca』と似た設定。平均への回帰を吸収するように効率化した体制で、中産階級が固定化される。傲慢になった中産階級を労働者階級が打倒するという結末。そもそもメリトクラシーは否定されるために造語された。労働者(プロレタリア)革命が待たれる。

  24. タイトルから「新」を抜いた,浅野いにお『素晴らしい世界』という漫画がある。メリトクラシーの敗者である無職・フリーター・限界予備校生が哀れみをもって描かれる。